映画「鉄道員(ぽっぽや)」見てきました


 私が初めて「ポッポ屋」と言うコトバを耳にしたのは、私がまだ駅員だった頃、昭和の年号が付いていた頃でした。

 当時、運転主任だった大先輩が酔っぱらってクダ巻いてるとき、「どうせしがねぇポッポ屋だけど・・・」というくだりがあって、なんか、それから「ポッポ屋」というコトバが好きになっておりました。

 まさか、それが比較的一般的な用語だった(業界として)なんて、知る由もありませんでしたが・・・

 そして平成の世になり、ナマイキにもわたしが運転士教習を受講することになりました。

 それまで、時間外80時間コースの大忙しなおしごとから、9:30出勤、17:30退社の定期的な、しかも隔週週休2日制の世界になり、時間ができたとき、近所の師匠の導きでパソコン通信を始め、「ポッポ屋さん」という私のハンドルが決まりました。

 そんな私が、あの本を知ったのは、平成10年の8月、随分マニアックなタイトルだなぁ・・・と、その本を取り、読んでいると、なにせ、普段から本を読まない私が正確に物語を把握してたかは疑問ながら、その中には、「鉄道屋の意地」というエッセンスがぎっちり詰まっており、うなずかせるものがありました。

 この「浅田次郎」という作家、かなりマニアックなオヤジだよなぁ・・・というのが私の素直な感想ながら、鉄道一筋というヤロウの心がわかってて、なんか、いいイメージを感じました。

 その本には「映画化決定」というのがついていて、おお、映画かぁ・・・と興味を抱いたのは言うまでもありません、なにせ、あの物語には「キハ12」というクラシックカーを出さないと物語が成立しないのですから・・・

 後日、新聞を見ていたら、「映画 鉄道員(ぽっぽや)」制作発表という内容の記事があり、誰がやるん・・・とむさぼり読むと、主役は高倉 健!

 見た瞬間、コレ、でけるの、この人しかおらんね・・・うなずきました。健さんの名前を見たら他の配役の名前は飛んじゃってましたが、娘役のヒロスエがなんか個人的には気になってました・・・

 そして、先日、世話になっている建設屋さんから招待券を分けていただき、オフまがいの格好にし、この、映画「鉄道員(ぽっぽや)」を見てきたのでした。

 まず、このオトコ(私)、本当に文章を読む能力が弱い・・・というかないなぁ・・・と言うこと。

 読んでいて、どれがだれだか混線しちゃったりしていたのですが、映画になってやっとはっきりわかりました。

 そして、やっぱり、ホンモノは出せなかったのね・・・というのが「キハ」、撮影用のはたしかに相当直しているのですが、やっぱりキハ40という今時のスタイルの車なんです。せめて、音だけでいいからクラシックカーのそれを引っぱり出してもらえればなぁ・・・というのが趣味鉄道な私のモンクでした。

 それ以外の、主役の、寡黙ながらやるこたやる・・・そして、ポッポ屋としての宿命を体にしみこませている雰囲気を、高倉 健は見事にこなしていて、コレがメチャクチャカッチョいいのです。

 蒸気車の運転を経験し、ふるさとの駅の駅長になり、ずっと過ぎていく・・・

 その中にいろんな事があり、本来なら仕事なんかおっぽり出して行きたい様なときでも、「オレ、ポッポ屋だから・・・」というヒトコトで、職場から離れられない。

 それで、カミさん、子供の死に目にも会えない・・・

 乙松さんというのですが(主役)、「ポッポ屋が身内のことで泣くわけにはいかんっしょ・・・」このヒトコト、普通の人には厳しいコトバに聞こえるかも知れませんが、すごく哀しい宿命を何となくわかっているつもりな私にはすごく痛く聞こえ、もう、そこから涙腺開きっぱなし・・・

 鉄道屋を取り巻く環境がいろいろと変わりつつある中、その渦中にいるメンバーがよく生きていて、そして、鉄道屋である限り・・・という世界、もし死ぬならこんな死に方がイキだなぁ・・・といろいろ思うことがありました。

 乙松さんという架空の人物と、高倉健というヒト、なんかイメージがラップします。どっちもメチャクチャ不器用な感じで、でも、その世界に生きている限り、やっぱり神様みたいな存在で、そして寡黙で、優しい・・・

 なんかそんな感じのヒトですね・・・

 実際、今の時代、電車の運チャンも、身内が体調を崩していて気になりそう・・・って言うと、休暇があると言う条件ですが、結構寛容に休めたりもします。心身状態が普通じゃないという判断で、運転ミスを起こす危険のある運転士を乗務させるわけにもいかない・・・という見地からもそうなるんですが・・・

 でも、オトコなら、あれだけ不器用ながらあぁいった鉄道屋人生を送るって言うのもロマンだなぁ・・・と思ってしまう今回の作品。

 なんか、感想を書いてるつもりだったのですが、めちゃくちゃな文章になってますね(爆)