逗子のカウントダウンで燃えてきました


 ついに「21世紀」になりましたね・・・

 逗子では、この日のために、「21世紀を迎える会」(?)ってヤツが開催されました。

 今日、改めて、あの会、正式にはなんてゆったんだろう?・・・って、市役所のHP逗子市商工会議所のHPを探ってみたんですが、どちらにも記載もなく、たしか、そんな感じの名前だったよなぁ・・・ってノリで、タイトルを書いてます(笑)

 最初、この話が来たのが春頃だったでしょうか? 2000年カウントダウンを逗子マリーナでやりたいって思いつきばかりとしか思えないような企画を出して、あっさり却下食らった逗子市長の発案と言われてるんですが、今度こそはって気合もあったんでしょう、商工会青年部、逗子市民まつり実行委員会ってのがあるんですが、その辺が結構マジで動きまして、この話が動き始めたというワケなんです。

 まず、会場をどうするか? 逗子の海岸にするのか、駅前にするのか? から始まり、ナニをやるのか?・・・とかいろいろ話し合ってた様ですが、私共は、神輿関係者ってコトで、オフィシャルからは、神輿を出してくれないか?・・・というハナシが来ておりました。

 ただ、神輿を出すと簡単に言っても、案外いろんな問題がある・・・

 まず、出せる神輿があるかどうか?

 逗葉神輿連合会、神輿はわずかに4基であるのですが、そのうち、亀神、久木神社(私の所)は、神社神輿というカラミもあり、だすとなると相当に大騒ぎになるのですね・・・葉桜睦会の巨大な万燈神輿は、この時期に出すには物理的にも無理がある・・・そう言う事情を察してくれただろう、東龍会が、町内会といろいろ調整をしてくれ、なんとか、出せる神輿は決まりました。

 本来なら4基全てだせれば最高なんでしょうが、なにせ、こういった問題の他にも、担ぎ手の確保ができるのか? 応援団体の先には、年越しでお神輿を出してるところもある、増しちゃ、この寒空に出てくるスキモノもそんなにいないだろう?・・・と言う心配もあったのでした。

 そんな中、暖房設備の大幅カット(爆)など、いろいろ問題もあったのですが、個人的にはイマイチ乗り気じゃなかったまま、当日を迎えました。

 乗り気じゃないとはいえ、やっぱ、連合神輿は、「ドッコイ神輿」、担いでいる間に「甚句」という歌を入れることになってまして、連合代表として、私が、恐れ多くもその担当をやらせていただけるということで、私なりに「21世紀甚句」と、「逗子の地元甚句」を作ってみたのでした。

 ところが・・・夕方から雨・・・

 コレ、マジでやばくない? ただでさえ、人出が読めないこのイベント、イベントそのものの人出も怪しければ、神輿の担ぎ手も怪しい・・・ガラガラのトコでやっててもイキじゃないモンなぁ・・・

 なんて思いつつ、昼間のウチに手配した「マキ」を指定した場所に持ち込み、準備はOKになりました。

 山奥→駅前までの自転車行路、置き場の手配もすませ、集合時刻の23時前に「御仮屋」前に到着、レギュラーなスキモノたちはすでに集まってました。

 少々風邪気味だったし、なんか、最初乗り気じゃなかったのですが、現地に来てみると、結構ギャラリー居るじぇん♪ いやが上にも気分は盛り上がるモノの、即席で作った甚句が滑ったらアウトだしなぁ・・・なんてビビるハートを抑えつつ、仲間内にはバカやってて、「おめぇ、のっけからテンション高すぎ」とか突っ込まれてましたが、空元気だって(笑)

 そんな中、寒いこったし・・・リハーサルやるかぁ♪ と、御仮屋の中で甚句の練習をさせて貰ったんですが、やっぱ、すべった・・・

 う〜ん・・・ヤバイ・・・あの辺とあの辺をもう一度思い直して・・・

 さて、時間も時間・・・そろそろ10分前だ・・・

 神輿も「第2ステージ」というとこまで出して、いつでも担ぎ出せる状態でスタンバってました。

 近くのビル(実行委員長宅の持ち物だったりする(* ̄m ̄)ぷっ)の電光掲示板も、秒単位でカウントダウンを刻んでいた。

 3分前になると、みんな気合が入っていく・・・第一ステージでは、おそらく蛍の光が合唱されてる頃であろう・・・

1分30秒前になると、もうガマンできない(笑) 私も、マイマイク(神輿用の大きなハンドマイクがあるんです♪)でカウントを始めちゃいました。

ナインティ

エイティ

セブンティ

シクスティ

フィフティ

フォティファイヴ

・・・

10 9 8 7 6 5 4 3 2 1・・・ゼロぉぉぉっ!!!

 その瞬間、神輿では一本入り、まわりがキナ臭くなったあたり、花火も出てるな?

 そんなことを一瞬だけしか考えるヒマを与えてくれない、神輿の発進であります。みんなギリギリまで待っていた分、気合も500%位か? 担ぎ手はそんなに過剰には多くなかったモノの少なすぎる状態でもなく、ある意味、ベストな担ぎ手要員かと思われました。

 ドッコイドッコイ!!

 よ〜いよいっと!!

 ギャラリーもこっちに注目してくれてる! 気合は私も全開だ。

 神輿を上げる前に、「新世紀甚句」を唄いたかったので、会長に、上げてすぐ唄っちゃっていいか聞いたのですが、向きが変わるまで待てという指示を受けてたため、ギリギリまで待ち、向きが変わったトコでイッパツ・・・

 ハァ〜〜

 めでためでたの

 20世紀を締めくくり

 やってきました新世紀

 晴れのこの日を祝うため

 おとちゃんもおかちゃんもおにぃちゃんもおねぇちゃんも皆様も(字余り)

 祭りの舞台に飛び出して

 担ぎ手小隊いざ進めっ!!

 これが、私の作った21世紀甚句、大したデキのモノではないんですが、21世紀の担ぎ出しにはそんなに悪くないかな?・・・って自己暗示がキマっちゃえばこっちのモノ♪ パワー全開でかけ声をかけ、甚句をキめ、担いでない私も、汗をかくような勢いでいました。

 最高の舞台を、逗子の仲間が意地を見せるべく担ぎまくるこの神輿、アタマの中はほとんど真っ白になるくらいに先導役をやっておりました。

 そして、第一ステージの近くに入り、最高の盛り上がりで最後の甚句・・・

 ハァ〜〜

 披露山から 近場を見れば

 裾に広がる逗子のまち

 南の方を見てやれば

 葉山大楠三崎など

 みんなつながる名代なり(本当は、「目立つ菜島の大鳥居」にしたかったが、ヌケた(爆))

 西の方をみてやれば

 相模の海に江の島の

 日本一の富士の山

 眺めよければ実も多い

 義理と人情のあついトコ

 これぞぇ〜 おいらの逗子の街!!

 コレで、最後にもんで、東龍会 会長の拍子木が入る・・・

 終わった・・・ナニもかも・・・

 俺たちの最高の祭りが、この場で終わったんだ!! って、ものすごく幸せな気分になりました。

 今まで、地元関係の甚句唄い(私は勝手にボーカルと呼んでますが(笑))をやってて、あそこまで幸せになれたボーカルはなかったな・・・って位燃えた一時でした。

 そして、今まで、各会で細かな段取りをしてりゃよかったものが、今回、初めて全ての会が協力して段取りをしなければならないハナシだったのが、最高のカタチでキマり、この上なく幸せだったな・・・って思いました。