箱根スペシャル・・・


 車掌さんの頃の勤務は・・・哀愁ポッポ屋物語の方を見ていただけるとわかるんですが・・・結構バラバラなんですけど、なにせ、鉄道屋には定休日がないかわりに、必ずしも休日が休みってこともないので、案外、夜のドライブというと、普段の日が多かったりしました。

 逆に、土曜とかいうと、車が多すぎて(夜の峠道をエレェ勢いで走る人々のd(^-^)ねっ!)ちとつらいくらいでしたから(笑)

 で、3日目(乗務員時代の勤務の体系としてのね)というと、大体22時台くらいにおしごとがおわりまして・・・そんなトコにメンバーが集まると・・・「行こうかぁ?」みたいなハナシになりまして・・・3〜4台で箱根にドライブなんてコトも結構ありました。

 あのころは・・・小湧園の前から、国道1号線をおもいっきり駆け上がり・・・上がりきったあたりまでってのがメインだったと思います。

 まぁ、結構楽しく走ったには走りましたけど・・・思えば、あの辺の人たちにはご迷惑おかけしてましたよねぇ・・・一応、あのころはエンジンもマフラーも、私のは無改造でしたが・・・

 にしても、箱根駅伝でおなじみの恵明学園(でしたっけ?)の前あたりは、2〜3速で結構な回転数出てましたしねぇ・・・(-。-)ぼそっ

 それにしても、前出の先輩ですが、あの人にはナニやってもついていけないんですよ・・・まぁ、後ろに乗せて貰ったりしたときに・・・テールスライド状態でにこにこしながらステアリング切ってたのを見て、この人にはとうていかなうまい・・・なんて思ってたりしましたから・・・

 ただ、ちょっと長い直線から、コーナーまでのブレーキに関しては、当時、前輪だけとはいえ、スポーツパッドをコイていた戦車・・・減速度で思いっきり詰められるんですね(笑)

 で、仲間もウケまくってまして(笑)・・・どうゆうわけか、それから「ゲンソク」って呼ばれたりしてヽ( ´ー)ノ

 そのころ、メンバー一同・・・ブレーキ周りはのーまるでしたしねぇ・・・

 で、そのころ、メンバーの紅一点のおねぇさんが・・・ブレーキの利き具合を体感してみたい・・・ってんで、隣に乗せて西湘バイパスを走行中・・・後ろをよぉく確認して自動車がないのをチェックしたあと・・・ぐいっとブレーキ踏んでみると・・・

 車内で「体育座り」状態で座ってたその人のおケツが浮き上がったとかで・・・それにエラく感動して・・・その数日後、その人のFC−3S(RX−7)にスポーツパッドがついてました(爆)

 おかねもちにはかなわねぇなぁ・・・ってのは正直感じました・・・

 そのおねぇさん・・・当時はメチャクチャでしたからねぇ・・・大観山から湯河原に降りる「椿ライン」って道があるんですが・・・下りであの人についていけませんでした(笑)

 上りなら、パワー差ありますしねぇ・・・っていいわけもできるんですが、もお、明らかにウデの差になりますし・・・痛かったです(笑)

 でも、この人たちにはしっかり鍛えられまして・・・あのころ、箱根スペシャルでそこそこ良い勢いで走れたんじゃなかろうかと思っております。

 横向けてどうのこうの・・・ってのはとうていムリだったんですけど・・・ヽ( ´ー)ノ

 私を「走り屋」さんの端くれに導いたおともだちを隣に乗せて箱根に遊びに行ったとき・・・それを感じさせてくれました。

 そして、そのころが私の最も速かった(気持ち的に)頃だったと思います(笑)・・・タダの暴走族ってゆえばそのまんまですが(自爆)